2014年9月7日日曜日

草刈機修理

2週間前だろうか、草刈機で庭で草刈りをしていると突然エンジン停止となった。オークションで中古を購入したのが5年前、その時確かキャブレターのダイアグラムというパーツを交換してこれまで快調に稼働していた。後でわかるのだが、原因は、雨水がガソリンタンクに侵入したためたっだけど、この時点では、なぜ?、、、ていう感じ。ダイアグラムは、ゴム製だから経年劣化もあるし、その可能性を思った。

日を改めて、キャブレターを分解してみると、やはりダイアグラムにちょっと皺が寄っている。これが原因か。でもまだ柔らかいし、機能はしているみたい、と、再組立。やはりダメ。キャブレターに、直接ガソリンを注入すれば、エンジンは一瞬動くので、原因は燃料が供給されないことだと断定。


分解、組み立てを何回か繰り返したが、結果は同じ、、、、とふと、キャブレターに水滴があることに気が付いた。そう言えば、タンクのガソリンが濁っているぞ。そうか、水が混入か、と納得。


タンクを空にして、ガソリンを入れ替えたら、エンジンはかかるけど、回転が上がらない状態。諦めて、ダイアグラムを、ヤフー・オークション経由で注文すると、三日目に到着。早々に取り換えてみた。


果たして、エンジン好調!!となった。早々に庭の草刈り!!と一周して戻ってきたら、またまたエンジン不調、、。そのうちにまた、かからなくなった。そう言えば、分解組み立てをやっているうちに、キャブレターのエンジン側ガスケットがだんだん破れてきていたなあ。あれが原因かも。今度はアマゾンで、ガスケットを注文。

そして、昨日そのガスケット到着。カッターで工作して、型に切り抜き。再組立。結果は絶好調となりました。2週間の草刈機修理プロジェクト無事完結。でも、最初から雨水と見抜いていれば、もっと簡単だったのか知れない。まあ人生そんなもの。

2014年9月5日金曜日

蜂の一刺し その3

畑で、インゲン豆を収穫していた。突然、蜂がブウウ~んと、ホバリングをしているのに気が付いた。黄色い大きい奴だ。いつもならジッとしていれば、やり過ごせるので、今回もそのつもりだった。でも、そうじゃなかった。

敵はやる気ムンムンの攻撃モード。こちらが後退りした瞬間、飛び込んで右手を一刺ししてどこかに行ってしまった。中指と薬指の間に針を通すような痛みが走った。

移住5年、4回ほど蜂に刺されている。これまでは、あしなが蜂だったけど、今回はスズメ蜂のような気がする、はっきりはしないけど。黄色の目立つ色をしていたように思う。知らぬ間に奴のお仕事の邪魔をしたのだろうか、当方にとっては、突然の出来事だった。

右手は次第に腫れてきた、30分もするとグローブのように。知識からすると、取りあえず毒を絞り出すこと。冷やすこと。心配はアナフィラキシー反応。脈は乱れてないか確認。今のところ、正常に見える。この状態が30分も続けばOKかなと、、、。心配をしながらジッとしている。1時間が経って鼓動は普通なので、大丈夫とひとまずは安心。


でも、手は経験したことのない有様になった。水を張った洗面器につけている間は痛みは無い。でも、あげて5分もすれば、熱を持ってきて、じわっとした痛さが手に広がる。洗面器に逆戻りだ。手の甲の皮が突っ張って、グウに握れない。いつまでこの状態が続くのだろう?

最近、田舎で不幸があり、草刈機が故障したり、体調不調などちょっと負の連鎖。そんな時は自重自重。慎重な行動に心掛けましょ。

2014年8月18日月曜日

ハワイ旅行

母親の持ち物を見ていたら、アルバムや未整理の写真に交じって、手紙がひと箱にしまってあった。当方が米国にいたころにやり取りしたものだ。こんなにいっぱいあるのか、そうだったか、、、という感じ。自分ではほとんど記憶にない。


懐かしいので内容をチェックしてみた。中から死んだ親父の手紙で、ハワイ旅行の日程が出てきた。そうそう、当方がロス滞在中に、中間点であるハワイで会おうと両親で出かけてきたことがある。30数年も前のことだ。

親父は、55歳定年となり、子会社に嘱託で勤務する身だった。60歳直前だったか。この1年半後に親父は脳梗塞で死んでしまうことになるとは、誰も思っていない。

手紙を見ると、日程のほとんどが自由行動、食事なしの設定になっている。たった5日だったけど、いろいろ記憶に残っている。
  • 到着後すぐに、お袋が不似合いなムウムウを購入して自慢げに着てたこと。ちょっと長くて、引きずりそうだった。帰国後に着るチャンスはあったのだろうか?
  • 親父はもちろんアロハ・シャツ。あれもどうしたんだろうなあ
  • その親父、2年ぶりに見ると随分老けていて、足取りもヨチヨチしている感じ
  • スーパーで巻き寿司やパイナップルなどのフルーツを買い込んで、公園の草むらに座り食べた昼ご飯
  • ハナウマベイで日光浴する白人の子供を見て、細い顔ねぇ~、、って叫んでいたお袋
  • アラモアナ・ショッピング・センターで週末に行われる子供のフラダンスショー。4,5歳のダンサーをお持ち帰りしそうなぐらい抱いて撮った写真
  • ホテルでは、キングサイズのベットで、文字通り川の字
  • ポリネシアン・カルチャーセンターでの夜のダンス・ショー
中でも一番の思い出は、レストラン紅花での夕食だ。鉄板に座り、両隣それぞれアメリカ人と同席だった。フレンドリーな人たちで、興味ありげにこちらをチラチラ。両親が日本から会いに来たと説明した。親父が身振り手振りで箸の使い方を説明。それが高じてジャパニーズは何でも箸だけで食事をする、、と。じゃあアイスクリームも?となった。デザートが運ばれたので、早々にデモンストレーションをご披露申し上げた。両親にとって、外国人とのコミュニケーションが楽しかった様子。

最後の空港での別れはちょっと泣けた。今となっては本当に良い思い出だ。

2014年8月17日日曜日

家系図

久しぶりに親戚のみなさんに会う機会を得た。10年ぶりの人、20数年ぶりの人様々。子供のころよく遊んだ従兄弟たち。「前回会ったのは、確か叔父さんの葬式だったね」なんて会話。大きくなっちゃったら、葬式ぐらい大きなイベントでもないと顔を合わせることもないのか。特に遠くに住まいを構える身としては、本当に久しぶりだ。

あちらも歳を重ねて容姿に変化を来したが、こちらも同じ。最初は誰?っていう感じだったけど、じっと見ていたら面影が、、、、、と言われる始末。


従兄弟の一人が、引退後自由になった時間を使って我が家の家系を調べたのだという。その集大成の巻物を披露していただいた。長さ実に9メートル。初代は出没は不明だけど、二代目の没が明和8年とある。調べれば、西暦1771年のこと。江戸時代の中期後半という頃か。当時の将軍は徳川家治。学校で習った田沼意次(と言えば賄賂政治か)が活躍した頃らしい。240年余も遡る由緒正しい家系なのだ。

その家系図にチャンとわが身の名前も載っていました。女房も子二人も。そして、予てより聞いていたけど、我が父親は、実はバツイチだった事実もそこに記入されている。この目でその事実を確認するのは初めて。まだまだ、知らないことがあるもの、、、と。

2014年8月16日土曜日

出穂

稲の穂が出てきた。田んぼの色も緑から徐々に黄色に変わってきている。5月の田植えから2か月半。2~3日毎の水管理が順調に進んで、次第に成長する様を見るは楽しい。


今年は冷夏かもしれないとの当初の予報も、見事に外れ、7月、8月初めは猛暑となり、稲にとってはありがたい環境となった模様。


台風11号はこの地に大荒れをもたらした。森に入ると枝が落ちているし、倒れている木もある。原村の広範囲に停電の原因になったようだ。田んぼに関しては、さしたる被害もなく、通り過ぎた。

2014年8月15日金曜日

喪失感

帰郷はお盆のためではなかった。母親が心不全で突然他界した。享年86歳。10年前に認知症を発症し、ここ2年は施設にお世話になっていた。面会に行ったが、ほとんど母は無反応だった。残念だけど年取った息子の顔も認知できない様子だった。1歳になったひ孫を連れていた時に、ニッコリして手を伸ばしてきた光景は忘れられない。そんなに遠くない時期に別れがくるとの覚悟はしていた。


とは言っても、実際にその日を向かえてみると、喪失感は否めない。通夜葬式とあわただしく三日間を過ごして帰ってきた。

内輪に向けての兄の最後の挨拶「母親の思い出は2つ。いっぱい殴られたことと、おんぶされたその背中です」と。兄は敢えて強く殴られたと言った。

確かに頻繁に叩かれたけど、殴られた感じではない。それに自分には背中の思い出もない。次男である自分の思い出とは違っていることに意外な感じがした。3歳違いの兄弟で、母親との関係に違いがあったのだろうか?と考えている。

2014年6月3日火曜日

暑い


本日こちら原村も30℃超え。直射日光が刺さります。午前続きにやる予定だった畑仕事は延期。昼寝と決め込んでます。

2014年4月18日金曜日

田んぼの開墾

話は少し戻って、4月の6日。苗を育てねば、、と重い腰を上げた。ゴールデンウィーク後には、畑作業を開始できる陽気になる。それに向けて今から苗を用意しておくことが必要。

時期になれば、近くのJAに行けば、苗が特設コーナーができて、多彩な野菜苗が売り出されている。が、これまでの経験から言えば、苗にするのが野菜作りのお折り返し地点。長いマラソンの中間地点なのだ。野菜作りを自負するなら種から始めなくては、半分しか努力したことにはならない。

まあ、それらで畑を埋める苗を買うとすると相当な金額になるのも大きな理由だ。


ということで、昨年採取した種をパレットにパラパラと。この一粒が、30個40個のトマトになるかと思えば、なんとも不思議な気分だ。

さて、昨年はいろいろな理由から米作りはしなかった。全てのご飯はスーパーから購入した1年だった。今年は、全ての米は自己調達目指す。

二つの田んぼの話が、正月の頃に舞い込んだ。そのうちのひとつが以前通った自然農の学校のOBさんたち。卒業生達が集まって独自に田んぼで米を作るのだと言う。これまでも別の田んぼでやっていたのだが、今年は心機一転、新しく田んぼを借りて一から始めると言うことで、仲間にいれていただくことに。


その田んぼに行ってみれば、のどかな感じが漂う里山の一角。家から約8km。車で7~8分の距離。聞けば、20年間休耕地だったとのこと。でもチャンと草刈りはされているようで、田んぼ自体は荒れてはいない。ただ、周りに木が育ち、水路は埋もれてしまっている。アゼの保水能力は全くの未知数だ。

それを整備しながらの稲作りとなる。どうなるか。頑張ります。

2014年4月17日木曜日

高遠のさくら

前夜、実家から突然の電話。曰く、母親が心不全で意識不明、緊急入院、、、と。

約束事を全部キャンセルして、朝一に車で実家の愛知に向かった。7時に出れば11時前に到着する心づもり。気は急くがここは一番安全運転、、、と中央高速に乗り巡航速度。

伊那の辺りを進んでいると、またまた突然の電話。曰く、意識がもどり容態も安定、、、と。んん~。どうする、、、進む、戻る、、と選択を迫られた、、、、。

実は春はとても忙しい。母には申し訳ないけど、戻ることしよ、、、。そして、、ただ戻るのはもったいない。場所は伊那。時は春。桜満開ともテレビでたまたま見ていた。帰り道、高遠に寄ろう、、、誠に不心得的な発想が出てしまった。

伊那北インターを出て一路、高遠城址に向かった。近くは既に渋滞が始まっていた。多くの交通整理係の人が道に出て案内。公園の駐車場は満車です。こちらの無料駐車場をご利用下さい、、と。無料の言葉に弱い当方は迷わずその誘導に従った。

歩いて上り坂を上ること約15分。無事城址公園に到着。まあ見事なコヒガンザクラだ、見渡す限りの。丘の上の敷地に覆う桜の木々。その花びらで空も見えず。ピンクに覆われた空間だった。

移住して5年。一度もこの時期にここを訪ねたことが無かった。近いのだらから一度は行きたいと思っていても、春はとにかくやることが多いのだ。


そんな俺達に、母親が与えてくれたひと時の休息。感謝

2014年4月16日水曜日

冬越し玉ねぎ

お正月に実家に帰った折、庭の片隅に置いてあったコンクリート製の流しをいただいてきた。これは確か高校生のころか、今は亡き父親と買いに出かけた思い出のもの。家に運びこんだ時、ぎっくり腰になった。当時オヤジは多分50歳ぐらい。16から~17歳のヤングマンの腰が先に音をあげたぐらい重量感たっぷりのヤツだ。


原村の地に、据えられて、野菜や農機具を洗う野外流しとしてセカンド・ライフを授けられた。

野菜ガーデンで、昨年はナスが不作だった。曰くナスは水を必要とするらしい。元来自然農では、基本的には水やりはしない。が、全てのことに例外あるように、ナスもそうなのだ。特に昨年春は雨が少なく日照りが続いた。それが不作の大きな原因と読んだ。

今年は、このコンクリート製流しに水をため、それを近くに植えるだろうナスに供給することを計画する。水は、これまた近くにある我がお風呂の水をホースで導入する。実にエコな発想と自画自賛。


予行演習として、水を張っておいたらそこに氷が張っているのを発見した。ニュースでは桜が散る地域のある今日この頃、当地原村ではまだ薄氷だ。写真は今週月曜のこと。ゴールデン・ウィークまでは霜を覚悟しなくていけない地域なのだ。

ところで、昨秋に植えておいた玉ねぎやニンニクたち。どうなっているか気にはなっていたが、なかなかチェックできずにいた。たかだか車で8分の畑なのにどうも足が遠のく。意を決してついでの用があったので畑に寄ってみた。


そこに、ちゃんと玉ねぎたちが育ったいた。

2年前は5勝95敗ぐらいの成績だった。200本植えたのに霜で浮き上がってしまって取れたのは10個以下。今年は霜対策の藁や枯れ草できれいに覆っておいた。深い雪も保温に寄与したのか。ほとんど全数が育っている様子だ。

通常なら春に肥料を撒くのだが、自然農は、秋に米ぬかを撒いておいた。冬の期間を使って分解された有機物が肥料としてこれから働いてくれるはず。6月の収穫が楽しみ。


2014年4月13日日曜日

村民の森2014

原村にも春が来た。まだ桜の開花は先だけど、雪はほとんど溶けて茶色の地面の下から緑がちらほらの状態になってきた。

本日は、近くの村民の森にスタッフが集合。今年の整備計画をするための下見をした。大雪のせいで、弱っている樹木は、その重みのため立っていられなくなる。例年より倒れたり、傾いたりしている木々が目立つ。伐採が必要なものに目印をつけて、時期を見て間伐をすることになる。

村民の森を示す看板も、経過する時間に勝てず痛んできていた。本日それも更新。シラカバの小枝でなんとも起用に文字を作ってきたスタッフさん。インパクトドライバーで打ち付けて完成。



森を散策すると、貴重なオブジェを発見。真っ白なタヌキだ。残念ながら絶命していた。交通事故だろうか、前足付根に損傷の跡がある。骨折しているのだろうか。



この白いタヌキ。なんどか目撃されていて、我家の近くにもその存在をしらせえる立て札が立っていた。これをそれだったのか?まあ、残念な発見の仕方だった。冥福を祈ります。

さて、来月は、この村民の森のイベントとして「食べられる野草観察会」を企画している。森で採取できる野草を採って、その場で調理して食べてしまおうというもの。実は運営担当を当方がおおせえつかっている。天ぷら、おひたし、そしてご飯に炊き込むなどを予定している。参加希望は原村ホームページにて詳細を!


2014年2月15日土曜日

記録的降雪

記録的な積雪量とテレビのニュースが報じている。移住して5年になるが、確かにこんなに大量の雪は初めてだ。1メートルはあるだろうか。どこから雪かきをしたら良いのかボー然。


屋根からドッと雪が落ちて、裏に設置してある温水用エコキュートの室外機がスッポリと雪の下だ。このまま夜になり、稼働を始めたら、ヒートポンプの送風の行き場がなくなるわけだから、問題だよね、きっと、、、、と、工務店や設備屋さんに電話で確認してみた。設備屋さん曰く、「掘り出して下さい。凍りついちゃうので、電源は切らないでよ!」

覚悟を決めて、掘り出しました。1時間はかかったか。やっと姿を現した本体をパチリ。でも、まだ屋根には雪が残っていて、いずれまた落ちてくるはず。家にあった合板を置いて、空間を確保。と、2時間後、予想通り落雪。また雪の下となりました。これで良いのかどうか? 答えは明日。


さて、次は玄関側の通路を確保。車はすっぽり埋まってちゃっているので、当面は車は動かせない。徒歩の通路確保が精いっぱいだ。先週の大雪を雪かきしてあるので、今回のやつの行き場がないし。

道路まで約15メートル。両脇が雪の山で、すり鉢状になっている玄関前の空間を掘っていくのはとても厳しいぞ。深さは胸の高さまであるし。

その時、一計を案じた。徒歩用なら、先週の雪の山を踏み固めれば、それが通路と利用可能かも。掘るのではなく、踏み固めればイイじゃん、、と。


そうは言っても、下手に踏み込めば足が全部スッポリ埋まってしまう柔らかさ。雪を集めて少しずつ踏み固める、地道な作業となった。お昼になっても終わらない。昼食をとって再開。3時になってやっと道路までの通路を確保完了。続きは明日の日曜日に。週末でまずは良かった。ゆっくりやりましょ。


2014年2月14日金曜日

入笠山ハイキングコース

本日は大雪のため、スキー教室は中止との連絡があった。川崎市の中学生が自然教室イベントとしてスキー体験をする三日目だったのに。大雪のため、中央道が通行止めとなれば、帰れなくなる。急遽スケジュールを早めたのだろう。あんなにスキーが楽しいと言ってくれいた生徒達もさぞ残念がっているに違いない。

スキー場は我家から10km程度西にある。谷を挟んで向こう側だ。毎朝の通勤途中に全景が見える。山頂近くにハートマークがあるということで、恋人の聖地に登録されているのだとか。確かに横になったハートがある。


そこへは、ゴンドラに乗って麓から10分の入笠山頂上付近。ゲレンデが林を挟んで左右に分かれ、また合流しているので、島状の林になっているためだ。


ゴンドラ終点に登れば、対面する八ヶ岳の全景が見える。八ヶ岳で一番高いのは、赤岳で2,899m。原村から手前の阿弥陀岳に隠れて見ることできないが、ここに来れば頭を出す。


ところで、この時期ゴンドラに乗るのはスキーヤーやボーダーだけではない。冬の入笠山や湿原を目指す人たちも結構な数いる。先日もたまたま出会った一行。人間と犬達のパーティーだ。人間はスノーシュー、犬達はソックスを履いての完璧雪山装備。雪のおかげで、夏には入れない湿原にもドンドン歩いて入って行けるのだそうだ。


一度試してみたいと思ってはいるけど、なかなか実現しないチャレンジだ。

2014年1月8日水曜日

ステレオ・アンプ

少し時をさかのぼり、先月の23日の出来事。ボランティア冒険遊び場のスタッフの方から、餅つきのお誘いがあった。のこのこと出かけた。こちらでは、一家にひとつ臼があるようで、昔ながらの餅つきができる。


とは言っても、元旦からやっているコンビや、2日初売りのスーパーもあるので、正月の買い物状況は都会と変わらない。ので、正月の間、おせちやお雑煮で家事を最小限に済まそうという昔ながらの考えではなく、やはりこの時期ながらの雰囲気作りの感が強い。

やはり、子供たちにはこのイベントの人気は高いようで、和気あいあいの空気が流れていてとても平和な気分だ。

訪ねたその家のご主人、オーディオに造詣が深いようで、自作の真空管メインアンプを所有。中学生時代に三級ラジオやらオーディオ・アンプを作った経験のある我が身としては興味津々のものだ。ご自慢のLPレコードをかけていただき、その音色を楽しませてもらった。


いっしょにいた現役中学生にレコードを初めて見たと言われ、ちょっとショック。頭にある全知識を総動員してレコードの講釈を垂れるの図である。


正直を言えば、オーディオから流れる音の良し悪しを言えるほどの耳を持たぬ身としては、真空管なのかトランジスタなのかデジタル音源なのか、違いが言えない。まして、レコードが放つ出だしのゴロゴロ音はCDには無いなあと、改めて最新テクノロジーとの違いを認識してしまった我が身がちょっと情けない。ここは一番「やはり真空管アンプのしっとり湿度の高い音色はすばらしい」と言いたいところだけどねぇ。

先の中学生、昔の映画音楽に興味があるとかで、スティーブ・マックインの大脱走やらジョン・ウェーインの地上最大の作戦やら、中学生と青春の知識で盛り上がった。

2014年1月7日火曜日

冬のお仕事

こちらの冬は本当の寒い。実感するのは、夕方日が暮れると、外の水分はメキメキと音も出そうに凍りだす。日中に屋根の雪が解けて、デッキに滴る。それが凍って、スケートリンクの様相だ。危険なので何か手を打たなくてはと思いながら日は経つ。


明け方も気温が低いと思う事象がある。例えば、窓に張り付く氷の結晶。単純に気温が下がるだけでは、このようにならない。ある条件がそろうと、見事な文様を見せてくれる。どのように結晶が成長するのか、興味はあるがそれをずっと観察する忍耐力はないので、謎のままだ。


昨日から、スキーのお仕事が始まった。例年この時期になると最寄のスキー場でのインストラクターのお仕事。気温が低いので、キュキュと鳴くぐらい雪は締まっている。だけど、降雪量は低いので、その半分以上は人口雪だ。11月から毎晩夜通し雪打ちを担当してくれた方々の苦労の賜物。雪はあるが、いつも晴れている。年間84パーセントの晴天率が売りのスキー場だ。

夏の間、ほとんど体力つくりをしていない我が身としては初日はとても疲れた。お尻の筋肉に痛みを感じる昨日と今日。3月までは頑張るぞ。

2014年1月4日土曜日

2014年正月

またまた年が明けた。新年だ。といっても今日はもう4日。ドンドン時は過ぎて行く。こちらに移住後既に5年。ちょっとマンネリというか、馴染んできたと言ったら良いか。新鮮さが低下していて、生活をブログネタにする意欲低下した年だった。と、、更新が少なかった言い訳。

でも、久しぶりな人たちと会うと、ブログを見ていてくれる人が多数いる。そんな人たちに申し訳ないと反省した新年でした。

ということで、今年はもうちょっと頑張りますよ!、、、とこれが我が今年の抱負である。

同時に宿泊業・飲食業開業を果たすべくというか、もう開業した?いやまだまだ、、。と煮え切らない状態の我が家の新規ビジネス。その状況を報告すべくフェースブックも我が担当になったので、間もなくこちらもオープン予定。鋭意勉強中。

さて、昨年同様、3日4日と帰郷。懐かしい友との馬鹿騒ぎ。酒、近況報告、家族の話、介護、孫、仕事、引退、年金、愚痴、そしてビンゴで景品。いつ変わらぬ楽しい時間を過ごした。高校で過ごしたのはただの3年なのに、その後の人生、毎年盆正月に集まる仲間。よくまあ飽きないもの。実に40年を超えるお付き合いだ。特に毎年永世永久幹事さんに脱帽です。今後もよろしく。


さてさて、その行き帰り、いつも寄るのはこのパーキング・エリア。神坂。名古屋方面から言うと、恵那山トンネルの手前で、諏訪と三河の道中のほぼ中間地点。中山道の馬籠に徒歩で行けるのでついでに観光気分も味わえるお得なスポットなのだ。


帰り道、ちょうどお昼時となった。昨年は脚を伸ばして馬籠宿に行ったけど、今年はエリア内ですまそ、、、と。昼ご飯に選んだのは、「湯舟の沢そば」。丼を横切るアマゴがうれしい。目がちょっと恨めしそうだけど、味は最高。出汁で煮てあるのだろうか。頭も骨も柔らかい。蕎麦も美味しかった。


今回、実家の押入れで若かりし頃の写真を発見。その中に妻籠、馬籠を訪れたときの奴が出てきた。学生だった頃、バイト先のガソリンスタンドが何とアルバイト身分の我々もタクシーに分乗させて、連れてきてくれた。その時は、年取ってこのような形で再度訪れるとは露知らずだな。隣は先の万年幹事殿。改めて今後もよろしくね。