2011年9月13日火曜日

豊作のじゃがいもたち

未だじゃがいもの収穫が完了していない。今年はじゃがいもの豊作。掘ると大きい粒がゴロゴロ転がってくる。一時間ぐらい作業しただろうか。箱2杯もとれた。これでもまだ半分か。これ以上に畑に埋まっている。来年までじゃがいもは買わなくても良いだろう。


このあと、2時間ぐらい日に干して、大きさごとに選別して、箱詰めして、サンルーム下の室に納める。農作業っていうのはほんとキリがない。いつも思うのだが、スーパーで買う野菜たち、かなりの作業工程を経てやっとそこに至っているわけだ。かつては、農家に人達の苦労を思うことはなかったが、今はしみじみ感じる。

昨夜は中秋の名月。見上げたとき、雲に隠れていたため月見は見送った。本日改めての月見。十六夜の月、相当の光量だ。青白い光でいろいろなものの影を落としている。


2011年9月10日土曜日

らじるらじる

以下の数字の羅列、次の数字は何?幼稚園の入学問題だそうだ。

1 3 4 6 8 10 □

答えは12だ。上京して間もなく頃、職場の休憩中に出された問題。この種の問題は得意だったけど、これはどうしても分からなかった。聞けば、テレビのチャンネル。関東近郊の。田舎者には分からないというか、気づきにくいのだ。

地デジ化により先月でおしまいの話だ。よほど悔しかったのか、30年以上たった今も覚えている。覚えていることがさらに悔しい。

こんな話を持ちだしたのは、ラジオ番組がインターネットで聴けるようになったからだ。NHKは「らじるらじる」と呼ぶらしい。こちらの電波状況はあまり芳しくない。おまけに鉄板で覆われた母屋ではほとんど電波は入らずFMはかろうじて聴けるがAMは全くダメ。新技術のおかげで、AMもクリアに雑音無しで楽しむことができるようになった。

今後、放送の形態が大きく変わっていくのだろう。ラジオでも、番組のホームページがあり、そこに画像がおいてある。それを参照しながらの説明をするような番組がある。投稿されたメッセージを閲覧できるページもある。視覚情報も利用できるようになってきたし、双方向にもなりつつある。

木工小屋では、いただいたトランジスタラジオでNHKを聞くことが多い。雑音もあるが気にならない程度。作業をしながら世の中との繋がりも保てるような気がする。

夏休みの期間、子供科学電話相談が楽しみだった。「植物は感情があるのですか?」と言うのが一番のお気に入りの質問だった。以前になるが「どうして犬はウンチのあと、お尻を拭かないんですか?」というのもあった。素朴な難問に専門の先生たちが四苦八苦して答えるのがほんと面白いし、結構為になった。

2011年9月7日水曜日

復帰作業

今日は朝から日本晴れ。一日を通して雲ひとつない天気だった。木工小屋の屋根、先日の台風で一部飛んでいってしまった。そのやり直しを朝からボチボチと始めた。更に屋根横の部材、破風というものの取り付け行った。


お手伝いの(というか、彼が主体で自分の方がお手伝いといったほうが正しいのだけど)近所の大工さんも駆けつけてくれた。

当家は、周りを木々に囲まれているので、それらが防風林となり、かなりの風を防いでくれる。のだが、、、。一部開口部がある。ちょうど木工小屋の裏に、ぽっかりとある。2つの小川が合流し、そしてまた二筋の流れとなって下流に進む。そこに木々の切れ間があり、川の上空がトンネルのようになり、風が侵入してくるのだろう。


その侵入をモロに木工小屋の屋根が受けている。拭き上げる風に煽られて、シートが持ち上げられたと推定できる。

さて、その再作業。広い集めたシートをジグソーパズルのように、再配置。敗れた箇所を重ねあわせる。その結果、約畳2枚程度の欠損となった。それを新たに求めたシートで埋めて、復帰作業完了となりました。


それに加え、本日は、破風の設置。そして、その上に屋根の縁となる、唐草という部材も張る作業まで進みました。これを受けて、今度はいよいよ屋根材を張る作業に進むことができる。地道に少しずつ。雪の降る前までには完了したい。

2011年9月5日月曜日

台風12号

 とても大型の台風だったようで、本日9月5日午後5時NHKによると28名死亡56名不明だという。とにかく雨が激しい。この地でももう4日になるだろうか、ずっと雨模様だ。台風一過で普通は晴れるのに、今回はいつまでも雨が続く。8月の下旬、前線の居座って雨が多かったのでここしばらく雨ばかりの印象だ。

昨日は、風も強かった。突風が吹いていろいろなものを撒き散らかした。当家のひまわりも堪らずダウン。無残な姿となった。種を採ろうと思っていたのだが、大丈夫だろうか。


近所の人の家では、深夜に立木が倒れ、電気の引き込み線に寄りかかってしまったとか。電力会社に連絡したら、明朝、立木の撤去に来てくれたとか。大きな被害もなく良かった。多分、いろいろなところで同じような状況があったのだろう、停電がいたるところであったと聞く。当家も深夜に停電だった。トイレに起きたら真っ暗。手探りで用をたした。

今回の最大の被害は、建築中の木工小屋。屋根の防水シートが風で飛ばされてしまった。断熱材と野地板を乗せて、その上に防水のシートが被せてあった。本来はその上にガリバリウム鉄板を張るはずだが、そこまで作業が進んでおらず、ブルーシートが被せてあった。突風で約4分の1の面積のシートが破れて地に着いていた。


雨の中、とりあえずブルーシートだけを再度かけ直しておいたが、やはりそれでは雨漏りは免れることはできなかった。早く止んで欲しい。

2011年9月1日木曜日

ダックスホンダ

お盆に帰省の折、コンビニで集結している集団がいた。ダックホンダの集団だ。懐かしさにジロジロ。話しかけてみると、中古を購入してリストアしたものだという。ある者は塗装して自分の好みしたオリジナル装丁。ある者は発売時のままになるべく近づける装丁。集まって、近場をツーリングするのだそうだ。


たまたま、そこにいた同年の我が友人、「俺も実は47年製のダックスホンダを持っているんだ。オリジナルでずっと所有しているのだ」と、その若者相手に自慢。年甲斐もない。でも、若者はそれがどうしたっていう顔。相手にされていない。残念だったね。


実は、青春時代に我が身もこのバイクを乗り回していた。短足胴長のスタイル。ハンドルを折りたためば、コンパクトになり、車のトランクに摘むことができるとのうたい文句だ。実のところ、その重さ故、ほとんどの人は車には積まなかったけど。でも商用車のスーパーカブじゃなく、レジャーテイストが強いこのバイクに人気があった。

我がお袋も時折、息子のバイクを拝借。自転車じゃちょっと億劫、という距離は、これでお出かけしていた。学校で「お前の母ちゃん、ダックスホンダに乗っていたぜ」って言われてちょっぴり恥ずかしい思いをした。お袋は、見てくれよりも便利さの方を優先したかったのだろうな。そんなバイクも大学卒業と共に、誰がに譲ってしまった。あれが、今あれば良いのにな、、と思う。