2011年1月31日月曜日

新雪

誰も踏み固めていないゲレンデを滑るのが、ささやかな夢だった。それが訪れたのだ。先週のある日だった。

8:30からオープンするスキー場。行ってみると、ゲレンデを深夜に圧雪したのだろう。その後に新雪が降った。ファミリーゲレンデ一面がまっさらな状態だ。蛇足ですが、「まっさら」は方言か?全く新しいという意味ですよ。この言葉が自分にとってぴったりの感じ。圧雪車のシマシマの模様もない。
そこを気持よく、スイーと滑ってみました。音もなく進む感触はなんとも言えない気分の良さ。振り返れば、我が軌跡が2本、なめらかに続いていた。

先にも書いたが、この地の気候は、日本海側の雪国とは違う気候帯で、どちらかと言えば太平洋側の天気と同期している。ニュースでは連日、大雪の予報が流されていて、長野も雪ばかりの天気だ。でも、同じ長野県でも、中信と呼ぶ諏訪地方は晴れが多いのだ。スキー場のウリは晴天率、実に85%。いつ来ても晴れてますよって言う感じだ。
でも、その裏には悩みも。雪が少ない。これはスキー場としては困る。致命的な問題なのだ。でも係員さんの地道な雪づくりの努力によって、ゲレンデが維持管理されているのだ。この日も、人工降雪機がフル稼働でした。

コカリナ作り

何度目の雪だろうか。6回目ぐらいかな。昨夜も雪が降った。15cmぐらいか。朝一番にデッキの雪かきだ。一度雪かきをサボったら、それが凍りついて固まってしまった。こうなると雪かきも大変。サラサラのうちにやるのがラクチンなのだ。

いろいろな理由で、未だ木工工房は建前ができずにいる。雪、新しいお仕事、そして昨日の日曜日はコナリナ作りの講習会があると言うので、イソイソと原村中央公民館に出かけた。

オカリナならず、コカリナとは、正に小型木製楽器で、口で吹いて指で音階を操るものだ。原村在住の音楽家が作成そして普及を図っているのだそうだ。手のひらに隠れてしまうぐらいのサイズで、音色は縦笛のような感じ。

荒削りされたコカリナをペーパーで磨くのが主な作業。角を削り滑らかに、そして細かいペーパーに変えて表面をツルツルに。最後はオイルを塗って、紐を通したら完成だ。
いろいろな材質の物が用意してあった。ナラ、クルミ、カキなど。白州ウィスキー工場で使われた樽材で作られた物がひとつあったので、速攻それを選択させていただきました。お酒の香りが染み付いているのかもと言われたのが、特に魅力的だったので。でも、実際に口にしてみると、そんな香りをしない感じ。なんか微妙、、、。

指使いが独特なので、ちょっと練習が必要。でもその場で、チューリップやカエルの合唱ぐらいは演奏できました。

2011年1月22日土曜日

スキー教室2

今週月曜日からスキー教室を独り立ち。自らのリードで一班の子供たちにスキーを教えることになった。

月曜は、地元の小学校4年生。火水木と埼玉県の中1の三日間。本日金曜は地元小2年生とフル出勤だった。今日は4時前に帰宅したが、疲労困憊。すぐに遅いお昼寝。夕食まで熟睡をしてしまった。
 スキーをハの字にするのがやっとメンバー。彼らをリフトで上げるお初に、ほとんどのエネルギーを使っちゃう感じ。いくら初心者用ゲレンデでも、初めは恐怖心が出るのは当然のこと。下で滑れても、上じゃあバタバタ転んじゃうわけ。激励をしながら、ひとりひとり起こすために、スキー板を履いた身で上へ下へ。10人のメンバーの内、8人が転んじゃう大惨事。もう絶望的になる。

そんな機会が、今週は3回もあったのだから、疲れるのも当たり前、とチョット弱音が出てもしょうが無いと、思う次第だ。

ところで、地元の小学生達、スキー場まで歩いて来たとのこと。なんとも羨ましいスキー環境。なのに、学校の授業でしかスキーをするチャンスが無いとはチョットびっくり。我が班の小2年生、スキーは2回目、一人は初めてだと言う。地元でも、お手軽なスポーツとは言えないのだろうか。子ども手当の代わりに小中学生に年間無料リフト券を提供したら良いのにと思うけど、子供たちだけのスキーは禁止なのだろうか。残念。

2011年1月10日月曜日

雪かき

今年は全国的に例年より雪が良く降る。特に山陰地方では、2倍の積雪だと言う。ところが、ここ原村の雪の量は大したことはない。昨夜も降ったが、10cm程度か。陽の当たるところの雪は、日中に溶けてしまう状態だ。

ただ、気温は低い。今朝は零下15度ぐらいだったろうか。そのおかげで降った雪はとても乾燥している。”乾燥した”という言い方がなんかチグハグな感じを受けるが、実際に雪かきしてみるとその言葉がよくわかる。道具でひとかきすると、サラッとした感触の雪が集まる。雪の下の素材は、乾いた状態で顔を出す。雪と言うより、埃を払う感じだ。息を吹きかければ、きれいに吹き飛ばす事ができるのだ。
自分の育った地域では、雪は年に1~2度程度で、降った雪は湿っていて、触ればグッチョリした感触だった。ここに来て新たな発見となった。


雪かきは主にハンドラッセルというプラスチック製の器具を使っている。広い領域を効率良くかく事ができる。だが、地面が平らである事が必要だ。それに対し、ホウキは細かいところやゴツゴツしたところ、複雑な形状な面の雪を文字通り掃くことができる。柄の長いのが力も入るしサッサ、サッサと調子が良い。

まあ、10cm程度の積雪なので、このような対応で済ませることができるのだろう。大雪がこちらに来ないようお願いしたい。

2011年1月8日土曜日

スキー教室

本日、スキー教室の最終日。3日ともとても良い天気で快適なスキーだった。子供たちも満足してくれたと思う。

中学校一年生というから、12~13歳だ。三日間スキーをすれば、全員で列を組んで滑っていけるまでの技術をつけることができるとは、ある意味すごいことだ。プルークの形ができれば、ある程度のスピードコントロールができるようになる。教える側としては、そこまでが一苦労なのだろう。スキーのテールをズズッと滑らせる感触をつかんでもらうことが上達の第一歩なのだ。班の10名全員がその領域まで達することができた。

3日とはいえ、一緒に苦労してきた面々との別れはちょっとセンチメンタル。自分としても新たな挑戦として初めて出会った子達。よても良き思い出となりました。

ところで、スキーインストラクターの面々。今回は一班10名程度の班分けで32班にもなった。その分のインストラクターが必要なわけだ。その素顔は、というと、一言で言えば良き大先輩の方々だ。かつてのスキーブームの真っ最中に夢中でこのスポーツに取り組んでこられらたのだろう。今は仕事の一線を引かれ、悠々と人生の収穫期。中には、70代になってスキー認定講師の資格を取られた方もいらっしゃるとか。

まだまだ、自分には進むべき道は長いと思う次第だ。

2011年1月7日金曜日

スキーインストラクター

富士見パノラマリゾートでスキーインストラクターのお仕事を紹介していただいた。今シーズン3月まで、断続的にこの仕事に取り組むことにした。”リゾートでお仕事”っていう奴に以前から憧れていた。思わぬ形で夢が叶ったのだ。

昨日から3日間実地研修だ。実際の指導をするインストラクターの班に入って見学と体験をする。訪れた生徒さんたちは、以前住んでいた横浜と同じ沿線にある川崎市立の中学校の一年生だ。

我々の班は、今回はじめてスキーを履く子達だ。ブーツの履き方に始まり、スキーの持ち運び方、ストックの持ち方、ビンディングのはめ方、片足での滑走、ボーゲンでの止まり方などなど、じっくりと半日を掛けてスキーのいろはを伝えた。

こんなスタートをしたなら、自分ももっとスキーを好きになっていた気がする。思い起こせば、高校2年の時、学校で希望者を募って出かけたスキー教室だった。先生は学校の体育教師で「ハの字にして滑って来い」みたいな指導だった。新雪に突き刺さり、つんのめって膝を捻った。それが我がスキー人生の始まりだったので、かなりの長い期間、スキーとは無縁となった。

そんな思いをさせてはいけないと、順を追って、親切にやさしく、齧み含めるようにひとつひとつ教えていくのだ。先月も、DVDを見たり、実地で教える手順の研修会があった。が、生徒の方は、早く滑りたい、他の班の誰かさんが気になるのかよそ見、先生の言う事の半分も聞いちゃいない。何度も同じこと言わなきゃいけないし、勝手な行動が目立つぞ、、、。スキーアカデミーの方からは、生徒さんはお客様ですので乱暴な言葉はいけませんと。ガマンガマン。

でも、本日終りになって、「最初はかったるかったけど、最後は面白くなってきた」と生徒からのコメント。チョット報われた思いだ。明日の最終日も頑張ろ。

2011年1月4日火曜日

薪割り

真冬となり、この地はより厳しさが増して来た。明け方、外の温度計を見ると零下10度程度。日中も零度を超えない日が続く。でも不思議なことに、そんなに気温が低いの?っていう感じだ。日中に陽が射せばポカポカでとても気持ちが良い。こちらに来て寒いでしょう、大丈夫?って良く聞かれるけど、実感はそんなに厳しいものではない。横浜では一軒家で住んでいたが、実はそこの方が寒かった。

寒さが厳しくない理由を上げてみると、
  • 天気の良い日が多いため、陽がよく当たる。 西斜面なので、夕方にかけて特によく当たる。
  • 家の周りが防風林に囲まれているので、あまり風を感じない。
  • 寒いのを覚悟しているので、それなりの服装をしている。ズボン下は当たり前。ヒートテック、フリース、ジャケットなどなど。
  • 家の壁は外断熱と内断熱と二重の防御、サッシは全部ペアガラス。
  • オンドル・エコノ床暖房と薪ストーブ
などが考えられる。摂氏零度の環境でもそこそこ快適なのだ。

でも問題はある。薪の調達だ。今年が、はじめての薪ストーブ利用なので薪の必要量が全く不明だった。蓋を開けてみれば、今季用意した薪はまもなく底をついてしまいそう。薪の乾燥期間は、最低1年、理想は2年だ。これから調達してもすぐには利用できないし、売っている薪は一束400円~500円。一晩で1束から1.5束は必要だから、かなり厳しい。

ところが、捨てる神あれば拾う神ありだ。お知り合いが、在庫している木材を大量処分するという。乾燥済みのやつだ。ダンプもお借りして、年末にデリバリー。感謝。

新年は、暇に飽かして薪割りをせっせとやってます。

2011年1月1日土曜日

諏訪大社上社本宮

2011年の年が明けた。原村に移住して2度目の新年を迎えた。この家で初めての年だ。生活するには充分な環境が整っているとはいえ、セルフビルドを目指したおかげで、未だ多くが未完のまま残されている。曰く「セルフビルドの家はいつまでも完成しないのが普通」との慰めをいただく。でも、その言葉に甘えないよう、今年はそれ相当のレベルに達したいというのが、新年の抱負だ。

そんな思いを誓うため、地元の諏訪大社に初詣に出かけた。この地域には、諏訪大社が4つある。[1]上社本宮(諏訪市) [2]上社前宮(茅野市) [3]下社秋宮(諏訪郡下諏訪町) [4]下社春宮(諏訪郡下諏訪町)だ。実はこちらに移住するまでこんなことも知らなかったが、昨年の御柱祭で、それらの知識が豊富になった。

一番近いのが上社前宮だが、以前お参りしたことがあるので、今回は上社本宮をお参りすることに。御柱でも本宮一の柱が一番太くて立派な柱だし、名前からも元祖の雰囲気。4つも神社あるとの歴史的な事情はおいおい知識を得ていきたい。いずれにしてもこの地域が全国にある諏訪神社の大元であることは間違いない。
お参りに多くの人手が出ていた。全国の神社は同じような状況でしょう。神殿の前に立つまで、30分は行列しただろうか。午前中に出かけたのが功を奏したのか、イライラせずに済みました。良き一年でありますよう。