2010年12月31日金曜日

木工工房建築2

全国的な荒れ模様の天気が続いている。この地は長野県とは言っても、どちらかと言えば、太平洋側の天気に影響を得る。日本海側が大雪でも、ほとんど場合雪にならない。代わりに東京で雪や雨が降れば、ほとんどの場合同様になる感じだ。北アルプスの山々が、日本海からの湿った空気をせき止めてくれるからなのだろう。冬は、晴天になることが多いのだ。

だが、さすがにここ一週間、原村でも雪が断続的に降ってきた。そのおかげで、当方の木工工房建築は大幅に遅れている。26日に建前が終わっているはずが、、。未だ、必要な材木の加工作業を行っている。年がおしせまった大晦日、綺麗に晴れたので遅れを取りもどすべく、作業だ。


自動カンナで、地元産の唐松の表面を削り、同時に寸法を揃える作業だ。この自動カンナは、昨年、ヤフーオークションで落とした物。やっとお役に立てることができた。幅30cm長さ4メートルもの木材を順調にカンナがけをしてくれる。唐松はお隣りの町にある製材所から、軽トラで自ら運んできた。これらの作業、セルフビルドならではのこと。材料を自らの努力で揃えるのだ。業者に頼めば揃えてくれるが、お金で解決はすることは、セルフビルド精神に反する行為なのだ、と自己満足。


隣では、強力な力添えをしてくれる近所の大工さんが、丸ノコを上手に操って、アリツギというホゾ加工を施している。あっという間の鮮やかな作業だ。


ふと見ると、大工さんっちの愛犬テン君が、日向ぼっこをしている。気温は0度だけど、日当たりが良いのでとても気持ちの良い環境だ。なにやら犬のくせにチョット猫背だなと、変な感心をしてしまった。

2010年12月28日火曜日

餅つき

この時期あちこちで餅つきの声がかかる。今日はご近所の方から11時頃に来て、餅ついてその流れで昼ごはんを一緒にどう?と。ちょっと小ぶりの木の臼と自家製の杵でペッタン・ペッタン。

子供の頃、母親の実家で餅つきをした思い出はあるが、実際につき手になったのは、かなり大人になってからだ。横浜に住んでいた当時、自治会の餅つき大会。それに所属していたボーイスカウトの新年行事での経験だ。餅つきと言っても、実際は、その前半半分は、もちコネだ。いきなりついたら、ご飯粒が飛び散ってしまうことも承知していましたよ。何でも経験をしておくのは良いことだ。そこでの経験が生きて、今回もうまくつくことができたと思う。

良かったら、お鏡さんでも作ります?と、うれしい申し出をいただきました。ここでも経験が生きて、パン生地をこねる要領で丸めるとそれらしくなります。

明日も、別の場所で餅つきがあるとか。でも29日に餅つきをするのは、「くもち」つまり「苦をもつ」と言う語呂合わせで、演技が悪いと言う人もいるが、どうなんだろう。そしてその次の日も、、。楽しい田舎生活である。

2010年12月27日月曜日

木工工房建築

母屋の土台ができたのは、1年半も前のこと。(もうそんなになるのか、、、。) そのすぐ隣に、ついでに木工工房の土台も一緒に構築してもらった。一緒にやれば安く済むはず。でも、上物ができるのはいつのことやら、、、と思案に暮れていた、正直に言えば。

そんな我には、いつも必ず救いの神が現れるのです。近所の若い大工さんが、「いいですよ」と引き受けてくれた。それも仕事の合間を見ての設計や材料手配。「作業の主体は飽くまでセルフビルドを目指すあなたですよ」とこれまた、願ったり叶ったりの申し出。ほんとうにありがとうございますと言いたい。

さて、先日どっと材料が届いた。面倒な所は、全部材木工場でプレカットしてある。未経験者がボツボツ刻んでいたら、建てられるのはいつになるかわかりません。大工さんにコーチングのお世話をかけることになるし。でも、出来ることはなるべく自分でやりたいと、細かな刻みは自分で、丸ノコやノミをつかってやらしてもらっています。

勝手がわからず、隣で同様の作業をするその若手大工さんの半分のスピードしか出ないんです。おまけに建築部材ってやつは、やたら大きいので、その重量も半端じゃあない。体力があっと言う間に消耗。夕方にはぐったり。でも労働の充実感があります。

雪が降ってきたので、作業は遅れ気味。今年中に上棟ができるかどうか。空を睨んでいます。

2010年12月10日金曜日

ワリバシゴム銃

 薪ストーブでポカポカの室内、気がつくといろいろな虫が入ってくる。今晩も突然、ブーンと重厚な羽音とともに、指の先ほどの虫が飛んで来て頭上の電灯の傘にとまった。

んん~、何とかしなきゃ。そう言えば、2,3日前に輪ゴムを飛ばす、割りばし製のゴム銃を作った。これで仕留めよう。と、狙って発射。な、なんと、一発で命中じゃあありませんか。撃った本人もびっくり。


床に落ちたその虫、見るとカメムシだった。こいつ、下手にちょっかいを出すと一発かます「へひりむし」なのだ。独特な匂いがあたりに散らばり、ほんと迷惑な奴。薪に隠れているのだろうか。いつの間にか部屋に侵入くる。いつもは、見て見ぬふりか、そっと指でつまんで退室していただく。決して積極的に退治しなかった。


だけど、ゴム銃が実用となると話は別。こいつでハンティングだ。ゴム銃作成のホームページには「大日本ゴム銃猟友会」もあるように、これを趣味と実用に利用している人も私一人ではないらしい。木工技術を活かして銃の性能向上に励まなくちゃいけない。インターネットで見ると、連発銃や機関銃、バズーカなどなど。楽しい世界が広がっているのだ。

2010年12月6日月曜日

わらにょう

遅い稲刈りをしたのが約1か月前。残った藁を全部我が庭に運んで、わらにょうを作ることにしていた。先生となるお友達のお友達のお母さんが一度はご訪問いただいた。が、その日はあいにくの雨だった。また改めてということだったけど、なかなかメンバーのスケジュールが合わないできた。

先日、わらにょう作成の様子がブログで紹介されているのを発見。すぐ近くにある原村郷土館で一年前に講習があったらしい。これだけの情報があればなんとかなると、先生なしでやってみることした。

中心となる柱を建てる。3本の足で踏ん張る。ここまでは簡単。かつてキャンプでこの種の作業はよくやった。さてここからが問題だ。藁束を複数束ねて、柱にくくりつける。これで良いのかどうか。まずはやってみようと

胸の高さまで積んだところで全体を見渡すと、なんかとても違うような気分。不恰好だよね。表面が凸凹。ハサミで切りそろえたとしても、とてもスムーズになるような感じじゃない。でもとても疲れちゃったので、この日はこれにて終了。

さて、二日目。一度全部藁を下ろして積み直し。とりあえず全部の藁を積み終わった。表面はなめらかにはなったけど、これも最善とは言いがたい感じ。中心部分が縁より低く凹んでいる。これじゃ雨が中心に集まっちゃうじゃん。とは思うものの、やはり疲れちゃったので、この日もこれで終了。

そして本日三日目。 半分の藁を下ろして、積み始めた。が、どうも昨日と同じ結果になる予感。完成品を見学に行ってこよ、と原村郷土館にドライブ。5分で行ける距離だ。やはり実物を見るとよくわかる。写真を撮ったり、触ったりで、じっくり観察してきた。


その結果。なんとかそれらしくなりました。最後の雨除となる一番上の藁を乗せって、とんがり部分を紐でくくって完成。

でも、これで良いのかどうか。一年この形を保てばオッケーということだろう。

2010年11月25日木曜日

みつばちセミナー

先週土曜日、お隣りの町でみつばちセミナーに参加してきました。「おらほー!富士見」と名付けられた町活性化グループ、富士見高校養蜂部、NPOみつばち百花のみなさんが企画運営だ。

こちとらみつばちのことはほとんど無知。でもいずれは、我が庭にみつばちの巣箱を置いて蜂蜜を採りたいと希望している。このような機会は逃すわけにはいかない。

さて行ってみると、まずは富士見高校養蜂部のみなさんによる「はちさん劇場」。働きハチの一生を劇にて披露してくれた。一匹の働き蜂は、その一生ですべての役割を順番にこなすのだそうだ。寿命は季節にもよるのだが、ざっと言って1~3か月。まずは巣の掃除係、育児係、蜂蜜貯蔵係、門番、そして採蜜と。はじめは安全な内勤。段々危険な外勤に移っていくのだ。言葉だけの説明じゃあ頭を通りすぎるだけ。蜜蜂役のお嬢さん二人の自己紹介に始まり、女王役、スズメバチ役、幼虫、お花さん、悪役の人間など、次から次と登場してきて、視覚的にしっかりと記憶に残りました。

そして、その後に玉川大学の教授による蜜蜂の生態の講義。前段の劇のおかげか、この講義もすんなりと頭に入ってきます。曰く、人間の歴史は約一万年、ハチのそれは500万年だという。その社会構成は人間に比べて、とても安定している。

例えば、働き蜂の役割分担。採蜜は命をかけた作業だ。これを人生(蜂生というべきか)の最後に持ってきていること。人間社会なら狩猟や戦争など体力のいる作業で、若い世代がこれを担当する。ここで突発事故が起こって多くの命を落とせば、世代構成がとてもいびつになってしまうという。なるほどね。

女王蜂は、「おだまり!」って威張っているわけではなく、言わば、卵生産工場だ。ひたすら食べて、ひたすら産卵を繰り返しているのだそうだ。一日に500~2000個の卵を生む。3年の寿命でなんと45万~180万個になるという。女王蜂は、一度の飛行で10~20匹の雄蜂と交尾し、一生分の精子を蓄えるだそうだ。もう二度と飛行することはない。んん~すごい!

多くの雄と交尾することにより、生まれてくる子供たちの性格に言わばバラツキができる。このバラツキが社会全体の安定に役立つのだ。多様性が社会維持には不可欠。画一化はいけません、人間社会でも。

蜂蜜を飼育することは言わば簡単なことという。必要ならば給餌すれば良い。でも、それでは意味がなく。蜂が自生できる環境を整えることが必要、というのが、このセミナーの訴えたいことの最重要ポイントだ。この地域で、蜂たちが充分に採蜜できるようになることが、蜂にとっても我々人間にとっても良いこと。みなさんでそれを目指しましょう。

2010年11月15日月曜日

薪割り講習会

土曜日に村民の森で、薪割り講習会があった。今年から薪ストーブデビューの我が身としてはチェックしておきたい内容だ。

田舎住まい先輩のみなさんから聞くいろいろな実質的知識はほんとうにためになる。自分でなんとなくやっている作業も、これで良いのかどうか気になるところ。単に薪を作ることに限らず、それを作るための道具、チェーンソー、斧、薪の乾燥、そして薪ストーブのメンテナンスなど、経験に裏付けられた多くの知識を得られることとなった。

チェーンソーの使い方、
  • 2サイクル・エンジン始動は、チョークを閉じ、アクセル全開で始動すること。ブルブルと言ったら、チョークを戻す。燃料供給過剰になって、かぶってしまったら最後、誰も始動することはできません。半日待つか点火プラグの掃除をすることになる。手順の最初が大事。
  • 伐採時のキックバックに対する用心。チェーンソーの刃、前方上半分に物が当たると、刃がこちらに向かって跳ねてくる。これがキックバック。なるべくこの部分で切らないように。
  • チェーンの潤滑オイルが正常に送られているか確認が必須。ガソリンを入れたら、必ず潤滑オイルも満タンにすること。
  • チェーンの刃を研ぐこと。チェーンの素材である鉄はブレード全体の柔軟性を保つため、軟らかいものにしてある。石に少しでも当たろうものなら、すぐに切れなくなる。現地でもヤスリで研げるようになってください。定期的にお店の研ぎサービスも利用すると良い。年に2回ぐらい、展示会などで無料研磨サービスをしているとことがある。それを利用したい。
斧による薪割り
  • 斧の振り下ろし時、薪に当たる直前で力を抜くこと
  • 空振りや、かすった場合に備えよ。足元に切っ先が届かないよう。
  • 狙い箇所、半分に割るのではなく、横3分の一を部分を狙う
  • 一刀で割れなかった場合は、クサビの利用せよ
  • 玉切りにして、1~2週間おくと乾燥して、ひび割れが生じる。その時点で薪割りをすると楽チン
  • 玉切りのまま長く保管すると薪が硬くなり、割りにくくなる。半分でも良いから割っておくと乾燥が早く進む
薪自体について
  • 薪は伐採後、1年から2年乾燥させないとダメ。生乾きだと、ヤニが出て、煙突を汚す
  • 上等な薪ストーブは広葉樹だけを使えと言われるが、針葉樹でもほとんどの場合OK。ダメだという理由は、ヤニが出やすいことと、針葉樹は燃え易いためである。ストーブ内部が高温になり易く、煙突にこびり付いたススやヤニで異常燃焼になる可能性がある。また、高級ストーブは鋳物製なので、温度ストレスによりひび割れの可能性も高いのだ。だけど、これらを知って、300度までの温度設定でチャンと使えば問題ない
  • 八ヶ岳周辺は、唐松を代表とする針葉樹が主な樹木。これを利用することが地産地消。他の地から広葉樹を運搬することは無駄。みんなで針葉樹を利用しましょう
  • 乾燥は、野積みで良い。薪置き場に屋根をつける派の先輩。つけない派の先輩の2派がいた
薪ストーブの保守
  • 燃えカスの灰は、とても重要な保温材。薪燃焼の助けになる。灰の掃除はなるべくしない方が良い
  • 煙突の掃除は、経験者によりバラバラで、年一度から三度ぐらいか。燃やす薪の種類、ストーブのタイプ、煙突の形状など多様な条件があるので一概に言えないのだ。
  • 薪ストーブの窓ガラスはススで汚れるのだけれど、ストーブ店で購入するガラスクリーナも良いとは思う。だけど、それより日常的に新聞紙で拭けばほとんどは取れる。こびり付いたヤニでも、湿らした布に灰をつけて擦れば良く落ちる
  • スズメが煙突から入ってきて困る。何とかならないか。春から夏にかけて子育ての時期。この頃に入ってくる可能性が高い。スズメは垂直方向には飛べないので、侵入しないようにすることが重要。ストーブを利用しない間は煙突にカバーをかけることが有効。
わずか2時間の講習会だったけど、得た知識は多量でした。そして参加料無料。ただ感謝!

2010年11月9日火曜日

稲刈り

ご近所の方から、稲刈りをしませんか?とお誘いをいただきました。これまでやったことにないことなので、即行でお願いした。そして本日はその二日目。

最新のコンバインでやれば半日もかからず、稲刈りそして脱穀まで終わらせてしまうぐらいの広さの田んぼなのだそうだ。でもそれじゃあ、大地の恵みを実感することができない。手で刈り、脱穀機に稲を突っ込むのことこそが自給自足を目指す我が身への試練だ。

左手で稲の根元をつかみ、右手の鎌でジョリっと。稲は、大地の束縛から放たれる。それを一旦地面に置く。その後にワラで束ねる。これがなかなか難しい。強く締めれば、ワラが切れる。弱ければぐだぐだの束となる。この力加減が、、。
半身の姿勢は、腰に負担直撃。やむを得ず、お尻が地面に付こうかというウンチング・スタイル。なまった自分の体が恨めしい。

子供の頃、脱穀は足踏みだったような、記憶がある。さすがに今回はエンジンを動力とする脱穀機の利用だ。よく見れば、なかなか良くできた代物。穂先を突っ込めば、チェーンで自動搬送。モミを剥ぎ取り、ワラは向こう側に排出。軽いモミは風で飛ばされ、中身の詰まったモミだけが袋に送られる仕組みだ。

この日は人手が多く、午後3時前に全ての作業を終えることができた。ワラは我が自宅に運び、保管のために積み上げることになった。これをニョウと呼ぶらしい。その方法は、いっしょに作業をしてくれた方の母上がご存知だというので、後日ご指導に来ていただけることになった。乞うご期待。

2010年11月1日月曜日

薪ストーブ稼動開始

元来の先送り体質。本当に必要になるまでなかなか腰を上げない困った性格。暑い夏が去り秋をとおり越して突然の冬が来てしまった。もう、暖房なしではいられない。もう先送りはできないと、ストーブの設置作業をした。当の昔に材料は揃っていたのに、、。

煙突をつなぐこと、実に6メートル分。吹き抜けの高い天井からすーっと伸びた煙突となった。その末端にはこじんまりとした薪ストーブだ。このストーブ、バーモント・キャスティング社のアスペンと言う製品。この社の最小モデルと言うことで本当に小さいが、縦長の外形なので、40cmの薪を突っ込むことができる。

ストーブ内壁に耐火レンガが詰めてあるので、燃焼によって発生した熱がここに蓄熱される。そして燃焼はクリーン・バーン方式と言う二次燃焼を行なっている。これらの仕組みがないと、燃えた薪の熱のほとんどが煙突を通して室外に排出されてしまうということらしい。薪のエネルギーを効率良く室温に変換できるとのうたい文句だ。

床暖房が主の我が家では、このストーブは補助的な位置づけとなる。床暖房はそれなりのやわらかい暖かさだけど、田舎に住むのだから、薪ストーブは当然使ってみたい。床暖房とは違う、放射熱による直接的な暖かさもうれしい。それに、この熱源は暖房だけではない。お湯を沸かしたり、スープを煮たりの料理も楽しめるのだ。

庭で収穫したサツマイモを銀紙に包んで、ストーブ扉近くにおいてみた。待つこと約30分、ホクホクの焼き芋となった。ストーブ料理第1号をおいしくいただきました。

2010年10月29日金曜日

大工道具の思い出

先の2200kmの旅のおり、愛知県の我が実家にも立寄った。最近母親の足元がおぼつかなくなってきて、歩行を助ける手摺り。それがグラグラしている。それを補強しようと、物置を物色して大工道具を引っ張り出してきた。我が父親が使っていた奴だ。ほとんどはさびついていたけど、手摺りぐらいの修理なら何とか完了した。

現在、建築中のわが身としてはこれら大工道具は欲しいものばかり、お願いしていただくことにした。特にノミは、手元にろくなモノしかなかったので、これらは本当のありがたい。研げば充分使えるだろう。特にこれから木工小屋を建てる段階に来ているので、タイミング的にもちょうど良い。

道具が入っていた箱を見ると、購入年月日が昭和40年11月13日とある。父親が買ってきた時のことをおぼろげながら覚えている。箱からいろいろな道具が出てくるのを興味深くのぞいていた。これら道具の使い方を想像したり、それからできる上がるだろう製作物を思い描いていたのか。また、弁慶の七つ道具のようにひとそろいになった組合せにも興味があった。年月日から計算して、あの時自分は中学生だったのかと今思う。

この道具を使って、庭に温室を作った。大工の心得があった父親と三つ違いの兄といっしょにノコギリで角材を切り、ノミでホゾ穴を掘ったりして刻み作業。そして建前。サラリーマンだった父親がこんな技術を持っていることが意外だった。

出来上がった温室には設計上の大きな問題があった。建材を節約するためか、土地を掘って、階段で2,3段降りたところが床となる半地下構造にした。そのため、雨が降った翌日は床一面水が溜まってしまった。温室なのか、池なのか。相当使い勝手の悪いものになってしまった。

残された大工道具、そしてそこに記された年月日で呼び戻される懐かしい思い出だ。

2010年10月28日木曜日

ガレットに挑戦

ある経緯があって、今度11月下旬に20枚以上ものガレットを焼くことになった。その準備として、クレープやガレットの焼き方をフランスの方から直々に習う機会を得た。

ガレットは、言ってみればソバ粉のクレープだ。クレープは小麦粉が原料で、どちらかと言えば甘いお菓子の感覚。ガレットは食事として位置づけで、フランス・ブルターニュ地方の家庭料理だとか。そこは土地がとても痩せていて、ソバぐらいしか育たなかったのだそうだ。

焼くにはそれなりの道具が必要だ。薄い方がおいしいので、そうするための工夫がある。縁がせり上がってない平らなフライパン、生地をひろげるためのトンボ、そしてひっくり返すためのヘラ。道具の名前を聞いたら先生も思い出せないそうなので、思いつく言葉を当てておく。

仕上がりに、チーズ、ハム、卵を乗せて、四隅を折りたたんで出来上がり。見れば簡単そうだが、やってみるととてもできません。生地を丸く引き伸ばすことができません。あっという間に固まってしまい、右半分は厚く、残りは穴だらけのボロ雑巾。クレープは伸びが良いので、比較的簡単だけど、そば粉はそうはいかない。厚ぼったいガレットの味は正直今一なのだ。

家に帰って、まずは道具作りからスタート。大工道具として購入していた30cm四方の鉄板をまずタワシでゴシゴシ。そして、IHヒーターに乗せて、オイルを垂らしてシーズニング。以前、ダッチオーブンでやった経験が生きた。IHヒーターなので火加減はやり易い。でも、4mm厚の鉄板でも中心と縁でかなりの温度差が出てしまうことがちょっと気になる。そして、加熱が過ぎると鉄板が反り返ってくる。これも問題だな。そして、ヘラも作成。竹を割り、ナイフで整形。長さ40cmのヘラとなった。

これでうまく行くかどうか。今日のところは、お好み焼きで試運転。やはり、試験をする場合、不確定要素をなるべく排除しなくては問題が複雑になる。お馴染みの日本料理でスタートすることが安全確実だ。だから竹ヘラの出番はなし。鉄板は順調に稼動して、外はカリカリ、中ジューシー。とてもおいしいお好み焼きで昼ごはんを済ませることができた。

生地は作って一晩寝かすので、今晩生地を用意。そして明日からしばらく朝食はガレットだ。

2010年10月22日金曜日

帰り道のみちくさ

帰り道、いろいろ寄り道をした。車で旅行するメリットで、気ままに見て回ることができる。

まず、立寄ったのは、吉野ヶ里遺跡。長崎自動車道の東脊振(ひがしせふり)ICを出て、5分ぐらいのところだ。何年か前に大規模な古代の集落が発見されたとニュースになっていた、ぐらいの事前知識しかなかったけど、まあ一度は行ってみたいと思っていた。

行ってみると、その広さに驚かされる。広大な平原が広がっている。その真ん中に遺跡の公園がある感じ。ホームページによると73.7ヘクタールというから、正方形とすると一辺が850メートルになる。当時の竪穴式住居や高床式住居がかなりの数、復元されている。北内郭と呼ばれる区域に行くと、主祭殿という巨大な建物がある。中では当時の祀りの様子が人形を使って再現。なんとなく神聖な印象を感じることができるのです。

琵琶湖周辺まで戻ってきて、その夜、草津で一泊。ここから行ける面白そうなところないかと、ホテルで観光案内をみる。甲賀の里忍者村とある。じゃあ、ここに行ってみよと、まあ、ほんと場当たり式旅行計画。


子供の頃、テレビの隠密剣士を興奮して見ていた。伊賀忍者、甲賀忍者、そして風魔一族だっか。悪役の忍者達を正義の味方、着流しの剣士が颯爽と切り捨てるというような内容だった。忍者は手裏剣を投げ、剣を前後逆に握っていた。それがかっこよかったなあ。

村では、忍者道場と言って、師匠について忍者修行をすることができる。崖を登り、塀を渡り、壁をつたい、井戸ぬけをして、最後は水ぐもだ。これを全部終えると免許皆伝の巻物をいただくことができる。聞けば修行に年齢制限はないという。貸衣装でチャンと身なりを整えた忍者ちゃんや忍者君達とおじさんも修行を楽しむことができる。

からくり屋敷もある。どんでん返しや囲炉裏下の抜け穴などがあって面白い。それらを解説してくれるアルバイト「くのいち」もいる。

2010年10月21日木曜日

活気ある長崎

数年前、長崎でタクシーに乗ったら、運転手さん「もう長崎はダメだ。修学旅行も激減。観光客も来ない」と散々嘆いていた。なんとなく町全体が沈んだ印象だった。

ところが、町全体の活気が戻っている。原因は、人の流れが多い。至るところに人が溢れていた。まあ、そういうシーズンだったのか、修学旅行の小学生、中学生、高校生、制服組や私服組、様々なグループがウロチョロしていた。

そして、訪れた亀山社中、そこはおじさんやおばさんの団体がウヨウヨ。ボランティアだと思われるおじさん案内人が楽しいそうに展示物の説明。「龍馬の着物についている紋は、組合せ角に桔梗紋と言います。またの名前を違枡(ちがいます)桔梗紋です。こちらの方が覚えやすいですね」なんて解説をしてくれています。

法事で会った親戚のおじさんたち、「この人気も今年限り。龍馬伝が終われば、お終いよ。みんな、今年中にしっかり稼がないと、、」と言ってました。我々も、龍馬伝人気に乗って亀山社中を見に行こうと思ったわけだから、テレビの影響ってすごいよね。我々の世代は、長崎と言えば、さだまさしだったけど、今は完全に福山雅治に世代交代しちゃいました。

頑張れ、長崎!来年も、、。

2010年10月20日水曜日

覆面パト

実は、帰路にスピード違反で捕まってしまった。長崎自動車道の武雄JCTを過ぎたあたり。時速27kmオーバーで、罰金18,000円。3点減点だ。パトカーは佐賀県警3ナンバーの白いクラウンだ。

頭の来たのは、どこまで行っても1,000円高速料金で、懸命にした節約がパアになったことだけではない。 その覆面パトの挙動がおかしいからだ。

そもそも、そのパトカー、ジャンクション分かれ道の安全地帯を跨いで、我が進路に侵入してきた。追い越し車線背後には他車がいたので、当方は減速してその進入車の後についた。ここで覆面パトだと見破れば良かったのだが、そうはいかなかった。その車、追い越し車線に出たが、スピードを上げるわけでもなく、また走行車線に戻って、我が車の前をチョロチョロ。

ヨイヨイのおやじドラバーだね。君子危うきに近寄らず。なるべく早く抜き去ろうと思わせる罠だったのか。頃合いを見て、スピードを上げて抜いた途端に赤いランプがクルクルと背面からついてきた。

パトカーの後ろに乗せられて、曰く「急いでいたのですか?」と。もう、こちとらぶち切れそう。この車がこのスピード違反の原因を作ったのだと、大きな声を出してしまった。不満がある場合、この罰金を払わなければ、裁判になります。そこで争う事になります、と。こちら長野に住んでいるわけだし、裁判をする時間もお金もありません。そんなことするわけありません。

違反切符にサインをくださいと先方は飽くまで低姿勢。「こちらの言い分を書いてもいいですか」と言ったら、一寸考えて「いいですよ」と。なので、「このパトカーが、極端な進路変更をして、ウロチョロするので、早く抜きたかった。」と書いて、しぶしぶサインをした。

ここ2,3日、その時の悔しさが蘇ってくる。覆面パトの存在そのものが不満だ。確かに法律違反のスピードを出したのは認めるけど、それを誘引したのは、そっちだろって思いがぬぐえない。法律を犯してしまった、反省しますっていう気分になれず、損した、はめられたの被害者意識しか残らない。覆面パトってやつは、正しい順法意識を育てることにならないように思うのです。プンプン。

2010年10月17日日曜日

2,200kmのドライブ

往復2,200kmの旅からもどった。留まった地名で言えば、原村、滋賀、長崎、佐賀、草津、甲賀、愛知、原村と車で周って来た。

まずは長崎までの道のり。11日(体育の日)夜8時に原村を出発し、諏訪南ICから高速道路へ。真夜中24時に琵琶湖脇の多賀SA内にあるホテルに到着。そこで就寝。翌朝8時半に出発。何度か休憩を挟んで、午後6時半に長崎の着いた。ここが長かった。就寝を挟んで、往路14時間も車の中で過ごした。飛行機ならアメリカまで行っちゃう時間だ。

どこまで行っても1,000円高速料金を利用しての移動なので、サービス・エリア内にあるホテルの存在はありがたい。1,000円適応受けるためには、祝日が終わる前に高速に入ることが必要。そして、なるべく長く高速道路を走り続けること。この条件で見つけたのがこのホテル、レストイン多賀

行ってみたら、チャンとサービスエリア内にありました。部屋の感じは廉価なビジネスホテルかな。ユニットバスもついているけど、大浴場も別にあるので、当然そちらを利用した。他に仮眠のとれる休息所もあって、そちらのお客さんも大浴場を利用できるのだ。若いライダース風の人がちらほら。ローコストで自由な旅を楽しんでいるのだろう。


シニア世代としてはやはり、布団で寝たい。部屋は狭くても目を瞑れば、気にならない。静かな睡眠を満喫できるのです。

高速出口の長崎。果たして、高速料金は2,100円でした。大都市近郊区間を通過するために1,100円が余分に必要だった。どこまで行っても1,000円じゃあなかったけど、正規料金2万円超に比べれば良しとしよう。

2010年10月7日木曜日

蝶と蛾

チョウチョは良いけど、ガはイヤ!って言う人は結構多いようだ。ニョウボ殿もそうだ。機能的な外観はほとんど同じなのに、ナゼだろうと私は思う。

曰く、色が気持ちが悪い、鱗粉を撒き散らす、夜に飛ぶ、胴が太い、羽が揃わないなどなどの理由。が、どれもいまいち説得感がない。やはり、脳内にあるイメージが負側に倒れているいるのだろう。チョウは正のイメージがあるのだ。野菜を食い荒らす青虫の親だと思うと、ヒラヒラ優雅に舞っている姿も憎らしいと我思う。

まあ、そういう私も、アヒルは良いけど、鶏は苦手。特にトサカの張った大きな雄鶏はどうしても怖いと感じてしまう。育った実家は、かつて隣が鶏舎で、夜明けと共にコケコッコの声を聞いていた。きっと幼少の折、ニワトリさん関連で、とても怖い目にあっているからだと自己分析をしている。自給自足を目指す身として、鶏はとても良い題材なのだが、今一踏み切れないのだ。

先日、玄関にガが何匹も停まっていた。外灯を夜中じゅう点けたままにしたので、その灯りに寄ってきて、日が明けてもそのままそこに留まっていたようだ。

なぜかジッとしているので、簡単に捕まえることができる。その顔をマジマジ見ると結構お茶目な表情をしているじゃあませんか。ずんぐりした胴体、つけ物のような手足、くりっとした目、繊細な触角。局所的にはかなり可愛い姿だと思うのだが、どうでしょう。

2010年10月6日水曜日

ヒマラヤン・カーキー

購入にあたりいろいろ選択があるが、その中でも大きな決断は色。あまり派手じゃなく、落ち着いた感じ、そして市場にあまり出回っていない色を希望とした。

かつて、乗った車の色は、シルバー、赤、紺、そして廃車したセフィーロは極濃い緑だった。気分的にはこれらも避けたい。

結論はヒマラヤン・カーキーという色にした。この車種の最初の発表時にはあったが、マイナーチェンジで一旦は絶版になった。そして今回のマイナーチェンジで復活した色だという。カタログで見ても実感がわかなかったが、緑系の色じゃないの。軍服の色だよねと納得した。

ところがこのカーキーっていう色は、いい加減というか幅のある色合いなのだ。世代によっては、思いが違うようなのだ。本来、カーキーって、土ほこり色のことを言うのだそうだ。若い世代はそれに近く、もっと茶色がかった土色のイメージを持っているらしい。我々世代は、 くすんだ緑色と思っている。

改めてカタログを見ると、茶色にも見えるし、緑にも見える。ホント、どんな色が来るかちょっと不安だった。

まあ、結果的には、思い通りのくすんだ緑であった。見方によっては、在日米軍の軍用車って言う感じも否めない。今のところはワックスが効いていて、ピカピカ・ツルツルなので、そのイメージは少ないけど、これでツヤが無くなったら、迷彩色の戦闘車になっちゃう。小まめに手入れをしなくちゃ。

2010年10月5日火曜日

新車が来た

13年乗ったセフィーロ・ワゴン、いろいろな箇所に故障が目立ってきた。ボディーは凸凹、テールランプも割れていてテープで補強などなど、修理代がかさんで来た。燃費も悪いし。消費促進の減税や補助金の今が買い時と決断をしたのが8月。いろいろ検討の結果、決めた車が本日無事納車となった。

今の時代やはりエコな車だ。購入価格が多少かかっても、維持費がやさしい方が良い、そして減税100%で補助金の出る車が望ましい、と検討時の方針にした。なので、ハイブリッドだよね、だからプリウスかインサイトのどちらかと当初決めていた。両方とも4WDじゃないけど、もう一台所有の軽トラは4WDだから何とかなる。

と、思っていたら、ニッサンからクリーン・ディーゼル6ATが発売された。試乗したらかな良好な乗り心地。心配した振動や騒音は許容範囲。なんと言っても、クリーンで燃費の良いエンジン。マフラーにハンカチを被せても黒くならないと言う。ガソリンと比べて10%ぐらい燃費が良いし、軽油はリッターあたり20円は安い。

車種決定の決め手は、当地の地理的な形状が大きい。ここ原村は、八ヶ岳を頂点に西に向かってダラダラと下る地形である。よく買い物に行く茅野市や諏訪市は、 400m下った土地にある。行きはほとんどエンジン・パワーは要らない。でも帰りは、上り坂が延々続くわけである。

ハイブリッド車だと、途中で電池切れとなり、エンジンの力だけで登ってくることになるだろう、多分充電のしながら。これってハイブリッド車の正しい使い方なのかどうか。

トルクの大きいディーゼル・エンジンは、上り坂もストレス無しだ。2000回転がピーク・トルクとなるエンジン特性だ。多少の登り坂は平地と変わらない加速ができる。

2010年10月4日月曜日

給食

ちょっと前の話。何年ぶりかで、学校給食をいただくことになった。献立は鳥の唐揚げ、キムチ・チャーハン、団子汁。デザートにゼリーもついている。量が足らない場合は、実はお代わりもいただける。全員に配り終わっても残りがあるようで、それを希望者で分けるわけだ。人気のゼリーや、唐揚げはジャンケンで。おいしくいただきました。

でも、一点問題が、、、、箸じゃチャーハンは食べにくい。パラパラ落ちるので。見回すとみんな起用にチャンと食べていた。負けないよう頑張った。
今年度から全国的に小学校も英語教育が始まった。原村の小学校では、以前から試験的に英語教育を始めていて、ニュージーランドから派遣された先生が直接授業を運営している。それを補助するボランティアを月一のペースでやらせてもらっている。

この日は、特別で、ニュージーランドから来た交換留学生たちと交流会が開かれた。その一環として、いっしょに給食をいただくプログラムだ。会話の仲立ちをサポートするという名目で我々サポート隊も給食のご相伴にあずかった。感謝。
午後、小学6年生たちの和太鼓の演技は迫力があって、とても良かった。我々も楽しみましたね。
その後、ニュージーランドの子供たちも和太鼓との初体験。リズムを一生懸命教える子。それを一生懸命聞く子。とても良い文化の交換となったと思うのです。

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2010年9月25日土曜日

プケコへ歓迎会

ニュージーランドのプケコへという地から、中学生たちが原村にホームスティにやってきた。

この土曜日に歓迎交流会が原村市街にある福祉センターで開催された。お手伝いに出かけた。大勢の方、多分200名を超える方が参加されたと思う。

パーティーは一品持ち寄りとされ、各人が自らの料理を持ち寄ってくる。メニューの事前調整は無いはずだけど、オードブル、サラダ、スープ、メインディッシュ、デザートとフルコースだ。マイカップ、マイディッシュと自前のお皿で自由に盛り付けていただく。合理的で、エコな、ほのぼのした、そして豪華な設定だ。

舞台では、お琴、木やり子供隊、リコーダーなど日本からの演技披露、プケコへ生徒達の歌や踊りの楽しい演目も。生徒達、多分一生懸命覚えて来ただろう日本語での自己紹介。和気あいあいのパーティーでした。

原村からもプケコへにホームスティに先月出かけたとか、子供たち同士も顔見知りの様子。見ていて原村の国際性のレベルを頼もしく思う。
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2010年9月22日水曜日

八ヶ岳マルシェ

先日近くで八ヶ岳マルシェという催し物があった。お知り合いに誘われて、当家も出展させていただいた。小淵沢のリゾナーレでも同じ名前の市場あるけど連携があるわけではなく、有志が集まって不定期に開催されるのだ。

さて、当家の出展物は、と言うと、マーマレイド、ブルーベリージャム、庭で採れた野菜やハーブ、手づくり石けんに、ワイヤーの石けん入れなどなど。まあ、手づくりな素朴な品々。これで買い手が付くのだろうかと不安を持ちながらの準備でした。まあ、初めての経験、何が売れるか分かりませんよ。

場所は、農業実践大学近く、御柱街道沿いのオールディーズというレストラン前。木陰に囲まれた雰囲気のあるロケーションだ。昼ごはん目当ての人、通りがかりの車、出展者の知り合いがそこそこ訪れる。お店屋さん初心者の試運転としてはちょうど良い混み具合。

我が商品、ここがウリですと、頭を絞った。手応えあったのは、手づくり石けん。香り、特徴に女性は興味があるよう。お土産としてもお手軽なのでしょうね。使ってみて気に入ったらご連絡を下さいね、と連絡先も提供。作り方教室もやってますよ、と、、。

他の出展も参考までにブラブラ。原村のお米、古代米、豆など真摯に取り組んでいるご家族。娘さんが売り子。怖そうなお父さんが途中偵察に来られた、アイスの差し入れを持って。我々にもおこぼれが、、、、感謝。別の出展者。木の下で整体やっている若者。

不耕起農法で作った野菜や穀物を売るご夫婦。疑問を投げると丁寧にお答えくださいました。ヤギも5頭飼っているとか。今度、家にお邪魔させていただくことになりました。売ることもさりながら、これらのやり取りもほんと面白い。

お隣で出展のクッキーも底が見えてきたところで、本日閉店となりました。

2010年9月9日木曜日

ブルーベルージャム

先日、お知り合いから庭で採れたブルーベリーを1kgもいただいた。ジャムにしなくちゃと思いつつ、もう五日も過ぎてしまった。つまみ食いもしたので、かなり量が減ってっんじゃん。

と、思っていたら、別のお知り合いから「ブルーベリー狩りに行かない?すぐ近くだから」とお誘い。これは良いチャンスと夕方出かけました。

車で5分も走っただろうか。到着。8月いっぱいが通常の営業だとか。でも今年は2週間ぐらい時期がずれているのだそうだ。結構いっぱい実っている。小1時間も頑張っただろうか。夫婦二人で2.2kgも摘みました。

オーナーさん、我々が摘んでいる途中で現れて世間話。そして、「終わったら、計量して料金を箱に入れておいて。もう最後だから、1kg単位で良いから」と言い残して行ってしまった。お言葉に甘えて、2,000円を箱に入れることにした。キロ単位なら、2.9kg摘んでも同じ料金と言うことか?と少し疑問は残ったけど、ここは大人の対応。

そして本日、ジャムにした。リシピはインタネットでゲット。ジャムにするのは、1.2kgになってしまった、冷凍保存したりお菓子に使ったりつまみ食いしたりで。砂糖は600gと思ったけど、味見したら、結局400gぐらいで充分な甘さ。

瓶詰めしたら、4つになった。ひとつが300gだから、全部で1.2kgのジャムとなった。途中随分と吹きこぼしてしまった。上手にやればあと半瓶ぐらいはできのかもな。